説教 4月28日 「暗闇にさまよう者の同伴者なる復活の主」

聖書 ルカによる福音書24章13〜27節

権力者たちによって裁かれ十字架につけられて死んだ主イエスを、神は甦らせられ、復活の主イエスは弟子たちに現れられました。では主イエスのあの無残な死は何だったのか、それは神が御子イエスにおいて、わたしたちの罪と罪がもたらす死と悲惨をご自身が担い、人類から取り除いて、主を十字架につけた者たちを含め、わたしたちをまるごと、み子において満ち満ちるご自身の御自身の命の中において下さったということなのです。しかし弟子たちは、主の遺体が墓の中からなくなっていることを嘆き、女弟子たちは主の甦りを告げる天使の言葉を聞き驚き恐れ男弟子たちに伝えましたが、男弟子たちは愚かな話としか思いませんでした。マグダラのマリヤは目の前に主が現れてもそれが主ではなく、園の番人だと思って、「あなたが主の御体を墓から持ち去ったのか」と迫るという有様だったと福音書はその混乱ぶりを描いています。主イエスはその彼女の名を呼んで、マリヤの心の奥深くにその声を響かせられたのでした。今日の箇所では、クレオパともう一人の弟子に主イエスが出会われたことを伝えています。二人は、主の復活を知らせる天使のお告げを語る女性たちの話に耳を貸さなかった者たちの中にいました。彼らは、主イエスを殺した恐ろしい街であるエルサレムを去ってあてどもなくどこか遠くに行こうとして、エマオの村に向って、この間に主イエスに起こり、彼らを打ちのめした一連の出来事をめぐって語り合い、時に苛立ちあったりもしながら歩いていました。そこにいつの間にか一人の見知らぬ旅人が、二人と共に歩いていました。それが実は甦られた主イエスだったのです。主は彼らにその話は何の話なのですか、と聞きます。するとクレオパは立ち止まり、あなたはあのエルサレムに泊まりながら、あのことを知らないのですか、と咎めるように言うのです。「あの方は力ある預言者でしたが、わたしたちの祭司長たちが、死刑にするために引き渡し十字架につけたのです。私たちはこの人に望みをかけていたのに、もう死んで三日になります。それなのに、女たちは天使から主は生きていると言われたとおかしなことを言い始めました」と。この二人の弟子の姿は、ひょっとして、主の復活を信じられない私たちの姿であるかもしれません。私たちはどうしようもない問題を抱えて、暗い心の谷間に迷い、もがいていることがあるかもしれません。しかし実はこの弟子たちに対してのように、十字架の苦しみと死を引き受けて、死に打ち勝たれた復活の主が、私たちのすべての苦しみを代わりに担って共に歩いて下さっているのです。主は彼らにいわれました。「キリストは必ず、これらの苦難をうけて栄光に入るはずではなかったのか。」全聖書がそれを語っているではないか、と。心の耳を開き、研ぎすませ、と。

2019年06月18日