説教 4月14日 「ロバに乗る王」

聖書 ルカによる福音書19章28〜40節

今日の棕櫚の主日より受難週、主イエスの十字架上の死に至る一連の出来事をおぼえる週に入ります。そして主の死から三日目の日曜日の朝、女弟子たちが墓に行くと主は「墓にはいない、甦られたのだ」と天使から知らされることになります。今日はこのような人類の歴史そのものを覆う人間の罪深さとそれを取り去る神の愛のさらなる深さが、マグマが人類史の地殻の表に噴き出るように現れる出来事を覚える一週間の始まりとなるのです。それは、弟子たちの一人が子ロバの背に自分の上着かけて主イエスがそれに乗り、その場に居合わせた民衆たちが上着を道に広げて、「主の名によって来る王に祝福あれ、天には平和、いと高きところには栄光あれ」と歓呼して迎えるという、神によって用意されていたとしかいいようのない咄嗟に起こされた出来事をもって始まります。つまり、人々は主イエスを、神が約束して下さった来るべきユダヤの真実の王、メシアとして、戦いに勝利して帰ってきた王を迎えるように迎えたのです。普通王が凱旋して帰ってくるなら、ピカピカの鎧を着て剣を腰に、猛々しい馬に乗って、高いところから周りを畏怖させながら入ってくるでしょう。しかしこの王は、何も持たずに、貧しい身なりで子ロバに乗って入ってくる、目線は民衆とあっており、民衆が道に敷くものは絨毯ではなく、それぞれの労働と生活の汗とシミのついた上着です。この王は、民衆の貧しさと汗と涙を知り、共にする王です。パリサイ人たちが恐れをおぼえ、主イエスに民衆の叫びを黙らせよ、と主に言いますが、主は「もしこの人らが黙れば、石が叫ぶであろう」と言い放たれました。この出来事は、旧約聖書ゼカリヤ書九章一〇節に記された、神が預言者ゼカリヤを通してユダヤの人々に約束していた言葉の成就にほかなりません。「シオンの娘よ、大いに喜べ。エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王が来る。彼は義なる者であって、勝利を得、柔和であってロバに乗る。すなわちロバの子である仔馬に乗る。」そしてこう続きます。「私はエルサレムから軍馬を断つ。また戦ゆみも断たれる。彼は国々の民に平和を告げ、その政治は海から海に及び大川から大川に及ぶ。」主イエスは、このような王としてこられました。この柔和という言葉はヘブル語では「アニ」で「貧しい、無所有」を意味します。これは俺のもの、俺の自由にするのだ、というものを一切持たないということです。徹頭徹尾神に仕え、他者に仕える、人間の心をもった王です。その王はロバに乗って来、この世の王たちを裁く、と。この約束された王こそは、わたしたちの主イエス・キリストにほかなりません。主は、全能の父なる神のもとから来られ、神に敵対している人類すべてを神に立ち返らせ、人と人、国と国の間の壁を破り和解と平和をもたらされる。私たちは皆、主にあって、神を仰ぎ、隣人と共に生きるほかはありません。

2019年06月18日