説教 4月7日 「世に仕えつつ治め裁く権威と使命」

聖書 マタイによる福音書19章27節〜30節

今日は統一地方選挙の日です。私たちは主権者として選挙権を行使します。国の政治も今回のように都道府県・市町村の政治も、また裁判についても、憲法を頂点とする法の秩序に従って、誰によってどのように行われるのかを決める究極の権威、さらには天皇の地位をも支える究極の権威は国民一人ひとりにあるのです。この権威のことを主権といい、国の統治の主権は国民にあります。この主権という言葉は本来は神を現わす言葉ですが、神の次に位置する人の地位をも現わし、教皇や皇帝や王のものでした。それが王や皇帝ではなくて国民一人一人ただの人間にあるとされたのは上と下が驚くべき仕方でひっくり返されたということで、それは17世紀イギリスに始まり、フランスに伝搬し、アメリカの建国思想となった近代市民革命とその思想によるものですが、その源流は宗教改革によって読み直された聖書にあります。聖書は一人一人の人間をご自身の栄光を現わす神の像として造られたと語っており、人間一人一人は王や皇帝より偉い、そして、神は罪によって失われた人間の尊厳を回復されると語っているからです。このことは今日の聖書個所にかかわってきます。主イエスが、その富のゆえに主に従えなかった富める若者との対話の後、「富める者が神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通るほうがまだ易しい」と言われ、その富める者をも神は救いうる、神にはすべてが可能だと言われたとき、ペトロの心になにかが燃え、こういいました。「私たちは全てを捨ててあなたに従って参りました。何がもらえるのでしょう。」主は答えて言われました。「世が改まって人の子がその栄光の座に就くときには、わたしに従ってきたあなたがたは12の位に座して、イスラエルの12の部族を裁くであろう。おおよそわたしの名のために、家、兄弟、姉妹、、母、子、畑を捨てた者はその幾倍も受け、永遠の生命をうけつぐ」と。人の子が王座に就くとは、ダニエル書七章にある神が終わりの日に世に遣わされると告げられていた真実権威ある人間の心をもった王のことで、その王は巨大な獣のように暴虐を行う既成の王たちを裁き打ち崩して、人々に神から与えられた尊厳を回復するとされていました。主イエスは、よくご自身のことを「人の子」と言われていました。それはご自分の父から世に遣わされた究極の使命が言い表されていたのではないでしょうか。主はそのために苦しみ、十字架にご自分を渡し、父により甦らされました。そしてその主は再び来られるのです。その時「世が改まり」すべての人が人間として神から頂いた輝きを回復するのです。そしてすべてを捨てて主に従った主の弟子たちも、小さい者であっても、この主と共に、世に仕えつつ、「人の子」、まことの王たるキリストに用いられて王の僕として世を治め、裁く者となるのです。

2019年06月18日