説教 1月6日 「『あなたは私の愛する子』との天からの声」

聖書 ルカによる福音書3章15〜22節

今日は1月6日、公現日、イエス・キリストが、人々の前で、神の子・キリストとして現わされた出来事を覚える日です。主イエスがヨハネから洗礼を受けた時、水から上がると、天が開け、聖霊が鳩のように下りてきて、イエスの上に留まり、主イエスは、これを「体で見た」と原文には書いてあります。その時主は同時に、「あなたはわたしの子、わたしの心にかなう者」という天からの声を聞きその声は、そこには洗礼者ヨハネから洗礼を受けるために来ていた群衆もまた聞きました。この出来事、天にいます神ご自身が、地に下り、地にある人の心と体に御自身を現わし給うということ、地にある人に対して、あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者と言って下さるということ、このことは、そこに居合わせた群衆たちや、また私たちと無関係な遠いところで起こったのではありません。神に背いた人類、私たちのために起こったのです。神の子らとして造られたのに、神に背いて、神から隔てられたあなたや私、私たちが「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」と呼ばれて神と共に生きることのためにこそ、今神からそう呼ばれ、そう証しされた通り、神の独り子なる主イエスは、私たちの肉をとって、地上に来られ、私たちの罪を御自身に引き受け、私たちの弱さやわたしたちが味わう苦しみを担って下さり、死んでよみがえって下さいました。それは、そもそもの創造の初めに神が、人間を、御自身の〈かたち〉、似姿にお造りなった、すなわち、神の栄光を映す映しとしてお造りになった姿が取り戻されることに他なりません。神が一人ぼっちではなく、私たちと共にいまし、私たちを支え、私たちと共に生きて下さる様に、私たちも一人ぼっちではなく、神を認め愛し、神と共に生きるように、また私たちの間でも互いに愛し合い、認め合い、共に生きる様に私たちは造られたのです。それなのに私たち人間は、神に背を向け、自分を神のように中心に立てて、神に対しても互いの間でも壁を作って、他の人をおしのけても、自分を高めよう、大きくしようとして、逆に、闇を彷徨い死ぬ者になったのです。御子は,そのようなわたしたちすべての人を神の栄光の輝きの中に取り戻されるために、私たちの罪と罪に対する神の怒りとしての死をご自身に負って、死んでよみがえって下さったのです。バプテスマのヨハネはユダヤの人々に、神の裁きの時が迫っている、だから悔い改めよと呼ばわり、自らの罪の身の溺死と新しい命としての出発を象るものとしてバプテスマ行っていました。主イエスは、多くの民衆と共に、一人の罪人としてこのバプテスマを受けることから、御自身の働きを始められました。それは、ご自身の十字架における死と死人の中からの復活を先取りしてあらわすものであったのです。

2019年02月11日