説教 12月23日 「處女マリヤの受胎と御子の誕生」

聖書 ルカによる福音書1章26〜38節、2章1〜7節

クリスマスは、今から二千年前、神の御子イエス・キリストが生まれられた日、神が人の肉体をとって来てくださって、ご自身を現わして下さった日をおぼえる日です。御子の母となったのは、「ガリラヤの一処女」マリヤでした。ガリラヤは、ユダヤの辺境で、重税に苦しめられていた貧しい地方でした。マリヤはその社会の底辺に生きる一人の女の子だったのです。彼女はヨセフという、昔栄えたユダヤの王国の基礎を築いた王として敬われていたダビデの血筋を引く人と婚約していました。結婚はまだしていませんでした。ところがある日、この貧しい小さな女の子にいきなり天使が臨んで、「おめでとう、マリヤ
、主があなたと共におられます。」というので、胸騒ぎがして考えていると、「恐れるな、あなたは恵みをうけているのです。あなたは男の子を生む。子の名をイエスと名付けなさい。その子は大いなる者となり、その子はいと高き神の子と唱えられるであろう。主なる神は彼にダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」と。
この天使の言葉の背景には、昔、王ダビデに与えられた神からの約束の言い伝えがありました。その約束とは「私はあなたに大いなる名を得させる。あなたが地上を去った後、わたしはあなたから出る子を立てて、その王国の位を固くする。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。もし彼が罪を犯すなら、わたしは人の杖をもって彼を懲らす。しかし、わたしの慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう」というものです。そしてその後のダビデの王国は、当初の繁栄の後、やがてその富と力への奢りのゆえに北と南に分裂し、しかもそこに起こった多くの王は、小さき者を顧み給う神のみにより頼まむことをせず、周りの民族の拝む富と力の神々=偶像(バァルなど)に心寄せ、政治も小さき者を見捨て、苦しめる政治が行われるようになりました。そしてやがて、北の王国はアッシリアに、南の王国も70年余りののちに、やがてバビロニアといった強大国に滅ぼされてしまいます。神が、「人の子の鞭や杖を用いて」そのような国の在り方を「懲らす」べく、これを滅ぼされたのです。しかし神の慈しみは離れることはなく、神はイスラエルからそのような怒りの裁きと共に慈しみを取り去らず、預言者たちを通して救いを告げられました。それによれば、イスラエルの王国の滅びの後、その強大国も滅ばされ、その先ダビデの位を継ぐ神の霊に満たされた王を遣わす、その王のもとにイスラエルは神に立ち返り、その王のもとに諸国民もまた同じ神に立ち返り、すべての人が互いに損なうことなく共に神を仰ぎ、共に生きるものとなる、というものでした。イエス・キリストこそその王として来られた方にほかなりません。そして、その方は、世のもっとも貧しく無力な一人の女性マリヤを母として生まれ、そのおなかに宿られたのでした。低い暗い谷底が神恵みの満ち満ちる輝く場となるためです。

2018年12月29日