説教 8月27日 「使徒信条講解(4)―天地の造り主」

聖書 創世記1章1節~2章4節a

使徒信条の第一段落、「我は、天地の造り主、全能の父なる神を信ず」をラテン語原文で、その言葉の出てくる源と指し示す事柄の現実に心の目を注いで読むと、力強い神讃美の告白として響いてきます。「わたしは、どんなときにも私を愛してくださる神に信頼しより頼むことができます。その方は、全能の父であるお方、愛において全能な方だからです。天と地のどんなものもその愛に逆らうことはできません、その全能の父が、天と地のあらゆるものをお造りなったのです」と。さて、天と地の「地」とは、目に見えるすべてのもの属している世界です。地球上のことだけでなく、太陽も月も星も、地に属します。それを包んで天という目に見えない、目に見えるものをこえた世界があります。これも神ご自身でない限り神がお造りになった世界だと使徒信条は語っています。そこには、神の御もとに挙げられて天に昇られた御子なる主イエスもおられます。御子は、神から直接に来られた神ご自身で、造られた者ではありません。神に仕えて、天から地に臨み、神のメッセージを人に伝える目に見えない天使たちは天の者ですが、造られた者です。地上から去って、神の御許に召された人々も天にいます。この人々は天にあるけれども、神が造られ、神の御許に召された者で、神々ではありません。さて、神はこのような天と地をお造りになりました。それは、無から有を呼び起こす神の恵みの奇跡です。神が天地を造られる前は、地は渾沌で洪水が渦巻き、その渕の上には闇が覆っていたと言います。しかし渾沌も闇も、神なしにあったのではない、神の霊がその上を覆っていた。そして、神が光あれ、といわれると闇を引き裂いて光が照った。神はその光を闇からはっきり区別して、昼と名付け、闇を夜と名付けた、そして、夕となり朝となり、第二日目になった、とあります。地上に闇が蔽っていても、神は必ずそこを、輝ける光をもって照らし、新しい時を迎えさせて下さる、ということではないでしょうか。世がどんなに深い闇の中にあっても、神はすでに臨在し、光をもたらされるのです、ヨハネによる福音書は、初めに神の言葉、すなわち語りかけがあった。御子イエス・キリストは、その語りかけが肉となった方なのだ、といっています。そしてその言葉には人を死の中から立ち上がらせる命があって、それは人の光であった、そして、闇はこれに勝たなかった、と。今世界は混乱しています。暗い混乱・闇の世界にあっても、闇はこの光に勝つことはありません。

2017年09月11日