説教 12月9日 「旧約が語る世界平和の恵み」

聖書 イザヤ書55章20~35節

アドベント第二主日、今日のテーマは「旧約における神の言葉」で、標記の個所が、与えられています。「渇いている物は水に来たれ。金のない者も来たれ。来て買い求めて食べよ。ただでぶどう酒と乳を買い求めよ。」金があるから買い物なのに、金を出さずに買い求めよと、無茶苦茶を語っているように見えます。しかし私たちが渇き求めている最も大切なものはすべてお金で買えないものばかりです。私たちは自分で自分の命を確かに支えることはできません。お互いに支えあう関係、自分を認めてもらうこと、よしと肯定されること、どれも、私たちが自分で自分に与えることができない、また他の人に期待しても確かにはもらうことができないものばかりです。だから皆そのようなものに飢え渇いています。そしてその飢え渇きは、実は、私たちの造り主神が手を差し伸べて、お金によらず、代価を払わずして、ただでうけさえすればいいように、満たして下さろうとしているものなのです。それなのに人々は、命や支えや良しと肯定されることを、お金で得られるもので満たそうと求めるのです。しかし、どこまで行っても満たされません。神の言葉は私たちに語り掛けるのです。「なぜあなたは糧にもならぬもののために、金を費やし、飽きることのできないもののために労するのか、私に聞き従え、そうすればよいものを食べることができる」と。命の糧のために皆働いていると人は言うでしょう。しかしこれらは神の恵みとして、ただで受ける外はないものなのです。み言葉は、このことをただ個人の次元でだけでなく、人類的、全世界的な次元でも語っています。神は神の民ユダヤの人々に語っています。私はあなた方ととこしえの契約を立てて、ダビデに約束した変わらない恵みを与える、と。契約とは、神が「私はあなたの神、主である。わたしはあなたを支えぬくことをやめない、だからあなたはその私のものだ、だから、私に従って生きるほかはない」と呼び掛け、私たち人類一人一人ときっても切れない関係を結んで下さっていることを指しています。人類はその恵みの関係に背を向けています。しかし神は、人類との間のこの契約をイスラエルに現わし、またその王ダビデに現わされました。しかしその後神は、王たちの罪の故に王国を、大国を用いて滅ぼされました、その苦難の只中に、神は、ダビデの家の根っこであるエッサイの家から、御自身の霊に満たされた真実の王を立てて神との契約関係に背を向けている罪の状態を人類から取り除いて、もはや強者が弱者を食い物にする時は終わり、すべての人が、神と和解させられ、互いに支えあって平和に生きる時が圧倒的な恵みとして与えられると語られました。当箇所は、このことの成就が近いことを語るのです。そしてその来るべき王とは、イエス・キリストのことにほかなりません。

2018年12月29日