説教 9月9日 「満ち満ちてあふれ出る神の恵み」

聖書  マタイによる福音書15章21〜28節

福音書は、ただ一度限り主イエス一行の異邦人の町ツロ滞在の時のことを報じています。ツロはシドンと共に、かつては海運と貿易とそれで得た富で栄え地中海全域を制したフェニキア人の町で、当時もローマ帝国内の商業自由都市として栄えていました。主イエス一行は、その町の片隅で、一人の女性と出会いました。その人は、当時の共通語のギリシャ語を話す富裕な教養階級に属する人で一見何一つ不自由なことがないかのようでしたが、娘のことで悩んでいました。その人は彼らの前にいきなり出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊に取りつかれて苦しんでいます」というのです。今日わたしたちの間でも、たくさんの人が子供さんのことで悩んでおられます。何の問題もなく育っていると思っていた子供が、急に暴れ始めるとか、部屋に閉じこもってしまうとか、暴力をふるうとかそんな悩みをかかえておられるお母さんに時々で会います。そういうことがフェニキアの女性も起こっていたのでしょうか。
 しかしこの聖書の話で胸を打つのは、このお母さんのイエス様に「娘を憐れんでください」せっついて叫び続けて倦むことのないしぶとさです。彼女は必死でした。弟子たちにうるさいと言われ、ついに主イエスも言い放ちます。「私はイスラエルに失われた羊のところ以外には遣わされてはいない。」イスラエルでもなく、また失われた羊でもない、富める異邦人のあなたのところには私は遣わされていない」と。私たちなら「ひどい」と言って怒って去ったことでしょう。しかし彼女は言いました。確かにわたしは神から身を閉ざしている異邦人、またあなたが身を向け給う貧しい人々からも遠く離れたところにいます。わたしはあなたから恵みを頂く資格はありません。しかし娘が悪霊に憑かれて苦しんでいるのです。子犬だって主人の食卓からこぼれ落ちるパンくずは頂きます、せめてイスラエルの失われた人々に施される恵みのおこぼれを頂けませんか。イエスはこの女性の応答に心打たれて言われました。「あなたの信仰は立派だ、願う通りになるように」。その時、彼女の娘についていた悪霊は去っていきました。
神は、神を知らない地上のすべての民が祝福されるために、アブラハムとその子孫つまりイスラエルをまず祝福し選び召し、わたしはあなたの神と語りかけられ、あなたはわたしの民として活きよ、と繰り返し招いて已みませんでした。そのことの成就として主イエスは、まずイスラエルの救いのために、しかもその見捨てられた人々のために来られました。しかしその恵みは、そこから満ち満ちて溢れイスラエルの全体に、全人類に及ぶのです。その恵みを信じて受けるとは、自己中心の信仰ではなく、御民イスラエルと共に、また苦しみ悩む小さい人々と共に恵みに与かる信仰に外なりません。

2018年11月08日