説教 8月12日 信徒の日 「死人の復活」

聖書 詩編 90篇1〜12節、コリント人への第1の手紙15章50〜58節 

「あなたは人を塵に帰らせて言われます。人の子よ帰れ、と。彼らは一夜の夢の如く、」「その一生は骨折りと悩みであって、」「朝に萌え出、夕に萎れる青草のようです」とこの詩編の作者は、人間が死ぬこと、その生涯が労多くはかないことを嘆き神に訴えています。仏教も、「生・病・老・死」の四苦に、人生に起こる四つの苦しみを合わせて八苦と言います。しかし、仏教の関心は四苦八苦の現世から空や涅槃の世界に逃れることであり、そこに積極的に何があり働いているかははっきりしません。しかし聖書の信仰では、人の一生が苦しみと死をもって終わらねばならないことは、宿命なのではなく、最初の人間アダム以来、自分達の造り主、自分の存在の根底である神の愛に背き立つ罪に対する神の怒りの裁きであり、人類世界の苦しみと悲惨もそこからくるのです。弱く小さい者を苦しめ、互いに損ないあうこともこの罪から生じます。神はそれをそのままにはされないで怒りの裁きを下される、その裁きの徴が死であるのです。「われらのすべての日々は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年月の過ぎるのは、一息のようです。」しかし、神は決して冷酷な神ではありません。詩人もそう思っていません。神は愛です。「主よ、あなたは世々われらの住処でいらせられます。…とこしえからとこしえまであなたは神でいらせられる。」宇宙の極小の塵に過ぎない人間、しかも小生意気にふるまう人間を捨てず、忍耐し抱擁してご自分の前に繰り返し立てて下さる方なのです。そのような者である私たちに、お前は土だから土に帰れ、と命を限られるのです。それを知るとき、私たちに祈りが生じます。「主よ、われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させ給え。主よ、御心を変えてください。あなたの僕を憐れんでください。」
その祈りに神は答えて、人類の罪深さの只中に来て、力強いみ腕をもって臨み、人類を罪の支配から解き放ってご自身の恵みの支配のもとにおいて下さいました。それがイエス・キリストです。すなわち、神はご自身である御子を遣わし、ただ罪を犯し神の怒りのもとに滅びざるを得ない私たちの肉を取って人となって来られ、私たちの罪を代わり引き受けて、十字架に死んで、その死において神からの命をうけて死に打ち勝ち、神に直結する霊の体として甦られました。主イエスにつながるわたしたちもまた、神からの主イエスがうけた命をうけ霊の体として神の恵みに満ち満ちて生きるためです。終わりの日に、私たちは皆、そのような霊の体を与えられ、神の国に生きる者として甦ることになります。肉と血はもともとこの神の国を継ぐことはないものでありました、だから、終りがあって死ぬのです、それは神の国に生きるあたらしい、もともと神が下さろうとしていた霊の体、より完全な命をいただくためなのです。

2018年08月31日