説教 7月8日「ある権力者に下った神の裁き」

聖書 マタイによる福音書14章1~12節

今日のところに出てくるヘロデという権力者は、イエスの誕生物語に出てくる二歳以下の男の子を皆殺しにしたというヘロデ大王の息子の一人で、ローマ皇帝によってガリラヤの支配権を与えられていた者です。彼は、民衆に全ユダヤを悔い改めに導く預言者として慕われていた洗礼者ヨハネを捕え斬殺した男で、当然ながら民衆はこの男を悪逆非道な男として語り伝えていたことでしょう。しかし、わたしが驚くのは、福音書記者がこの男について語る時の、憎しみや糾弾の影すら見えない冷静さです。ヘロデがヨハネを獄に入れたのは、ヨハネがヘロデの兄弟の妻へロディアとの不倫を責めていたのがうるさかったからでありました。しかしマタイが下敷きにしたマルコによる福音書によれば、ヘロデは獄中のヨハネを殺そうとは思っていなかった、むしろへロディアが彼を殺そうとしていたが、出来ないでいた、それはヘロデがヨハネを「正しく聖なる人であることを認め、彼に保護を加え、またその教えを聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである」とヘロデを、そんな悪い人ではなかったのだ、と弁護しているのです。それでも、確かに彼の心が自らをそのようにしたのですが、やはり、何かに引きずられるようにして、ヨハネを殺すことになってしまった経緯をマルコは書いています。マタイは、彼の善意とみえるものは、結局民衆を恐れていただけだと言ってマルコの甘さを批判していると思えますが、しかし、基本線ではマルコの趣旨を否定していません。ではなぜそういうことになったのか。それは、ヘロデの誕生日の高位のお歴々を招いての祝宴という彼の有頂天の只中で起りました。へロディアの娘が登場して見事な踊りを披露したので、ヘロデは大変喜び高揚して何でも欲しい物を褒美にあげようと、少女に太っ腹な男前を見せます。すると少女は母親の指図を求め、指図通りに「ヨハネの首を盆にのせて持ってきて頂きとうございます」と願ったのです。ヘロデは非常に困ったが、いったん誓ったのと、列座の人たちの手前、それを娘に与えるように命じ人を遣わして、獄中のヨハネの首を切らせたというのです。こうして宴もたけなわの中、血塗られたヨハネの首が盆にのせられて、兵士から少女へ、少女から母親へと手渡されていくという血塗られた地獄の光景がすべてを覆ってしまうということになりました。見栄と傲慢があだとなりました。これが、神に背を向け権力に奢ったヘロデとその取り巻きに、死せるヨハネによってなされた神の裁きであります。ヘロデは、なおその後も主イエスの働きの噂を聞くたびに、その中にヨハネの復活した姿を見て、怯え続けなければなりませんでした。

2018年07月31日