説教 6月17日 「すべてに優る天の国の価値」

聖書 マタイによる福音書13章44〜52節

主イエスは、その神の恵みの支配、天の国のことを群衆に向って数々の譬えで話されました。マタイはその福音書一三章に、その一端を掲げ、紹介しています。今日の部分は、その締めくくりとなる部分です。今までのところでは、神の国は覆い隠され見えなくされて、あの「からし種」のように無きに等しいほど小さいが、必ずそれは、大きく成長する、そして、この世のどんな大きく強い者をも圧倒してて勝利する、ということでした。それに対して、今日の四四節以下では、そのように、この世のすべてに対して神の国が勝利するのならば、それに応えて、わたしたちはどうするか、ということを語るものが結びのたとえ話として配置されているということができるでしょう。神の恵みの支配「畑に隠してある宝」のように、決して人々が力や富を誇っているところにではなく、畑の土くれの中に隠れているのです。低いところ、人が貧しく弱くされているところ、苦しみの中でうめいているところにこそ、それは近くに臨み、満ち満ちているのです。更にまた、主の恵みの支配は、自分の弱さや貧しさ、痛み苦しみの中においてだけではなく、他者の弱さや痛み、苦しみに人が寄り添うとき、寄り添う者にもまた、満ち溢れてくるのです。確かに人は、その恵みの事実を知りつつ、しばらくはその事実をそっと隠しておき、行動をためらうのですが、やはり、その宝との出会いの喜び、苦しむ者を支え慰める恵みの力を知った感動と喜びを抑えられず、他者の苦しみや痛みのあるその場所へ、すべてを投げ出しても赴くのです。

2018年06月27日