説教 6月3日 「隠された奥義をたとえで語りだす」

聖書 マタイによる福音書13章31〜35節

福音書記者マタイは、主イエスが群衆に語った二つのたとえ話を紹介し、主イエスがこのように譬えで群衆に語ったのは、「私は口を開いて譬えを語り、世の初めから隠されていたことを語りだそう」との預言者によって言われていたことが成就するためであった。」といいます。そのたとえ話とはこんなものでした。「天国は一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って、自分の畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中で一番大きくなり、空の鳥が来て木の枝にやどるほどの木になる。」もう一つは、「天国はパン種のようなものである。女がそれを取って、三斗の粉に混ぜると全体が膨らんでくる。」これら二つはいずれも、話そのものは、まったく卑近すぎるほど卑近なもので、誰もが日常生活で見ていることです。そのような何気ない卑近な話によって、まさに世の初めから隠されている神の国のことが語られているのです。第一の話を見てみましょう。「からし種」という植物は、その種に蓄えられた油をとるために栽培されるそうですが、その種はゴマ粒よりも小さく、密集すれば見えますが、一粒だと目に見えないほど小さいのです。ところが成長すると、それこそどんな野菜よりも大きく、五~六メートルにもなるそうです。神の国とは、そのようなもの、ある人が自分の畑にまくと、そんなに大きくなるのだ、と主イエスは言われたのです。ある人とは、神のことです。神の畑とは、世界のことです。神が世界に撒くからし種とは、私たち神の民ではないでしょうか。神は私たちを世界に遣わして、神の国を、御自身の恵みの支配を、世に証しされるのです。世は神に逆らって自分を大きくして富や力を誇っておごり高ぶっている者たちが支配しているかのようです。その目に見える世の支配者たちに対して、わたしたち神の民の群れの一人ひとりは小さい者のように見えます。しかし、神は御子主イエスをその小さい者の一人のようにして、世に遣わされました。そして、この世のもっとも小さい人々苦しみを負う人々の苦しみを引き受けて、彼らに仕えられ死なれました。それは私たちが神の恵みを受ける神から子よと呼ばれ、大きくされるためであります。その神の恵は、世のすべてを覆うのです

2018年06月22日