説教 5月20日 ペンテコステ「慰めと希望と力のもとなる聖霊」

聖書 使徒行伝 1章3節から11節

今日はイースターから五〇日目の日曜日、五〇日目という名前を持つ日です。聖霊降臨日とも言います。なぜ聖霊降臨日かというと、今日主イエスの弟子たちに聖霊が下ったからです。聖霊とは。私たち人間の心の奥底に入ってきて働いてくださる神御自身のことです。色々なことで不安や怖れや重圧に閉じ込められてしまう私たちですが、あの死人の中から甦らされ、今は天の父の御許にある御子主イエスが、父なる神と共に、私たちの心の奥底まで来て、あなたは孤独ではない、わたしがいる、わたしはあなたの神、あなたの味方だと、呼びかけてくださるのです。弟子たちはエルサレムにいて、主イエスを十字架につけたエルサレムの人々を怖れていました。しかしこの日、彼らに聖霊が下り、彼らはエルサレムの人びとに、あなた方が十字架につけて殺した主は甦り、神の恵みがあなたがたの罪に勝利しました。その恵みがあなた方に及んでいます、と堂々と語り始め、それを聞いた人々は心が刺しぬかれて、悔い改めて三千人の人が洗礼をうけました。こうして教会が始まったので、この日は教会の誕生日とも言われます。
 今日の箇所は、復活の主イエスが弟子たちにご自身を四〇日間の間、繰り返し現わされ、天に昇られるその前の食事の時に弟子たちと語り合われたことが記されています。もう、弟子たちは、主が死人の中から甦られたことを疑うことはできません。主は甦られた!ということは、神の国が来たということではないか。罪の世は去り、神の恵みに満ち満ちる世界が始まったのではないか、そう思った弟子たちは、いよいよ今この時世界が新しくなるのですね、と尋ねました。しかし主イエスは言われました。「時期や場合はあなたがたの知る限りではない。ただ聖霊があなた方に下るとき、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤ全土、さらには地の果てまで私の証人となるであろう。」つまり、目に見える罪の世界は罪の世界のままである。しかし、神ご自身が御子と共に、聖霊として、その古い世界にいる弟子たちの心の根っこに臨んできて、古い罪の世界のかれらを根こそぎ変えて、主イエスと同じ復活の命、神の子としの命に与らせ、新しい人間にして下さるのです。私たちたちも同じです。問題と悩みの世界のままで、わたしたちもその中の人間として問題多い罪の人間であっても、そのままの世界、そのままの私たちに神は御子イエスキリストと共に、聖霊として臨んできて下さり、私たちを恵みの支配の中においてくださるのです。私たちの悩んでいるそこが、神が聖霊を下さる場所なのです。

2018年06月01日