説教 7月16日 収穫の時なのに働き人が少ない

聖書 マタイによる福音書9章35~37節

主イエスはユダヤのガリラヤ地方の町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝えた、とあります。「御国の福音」とは、「時は満ちた。悔い改めよ、天の国は近づいただから。」というものです。「天の国とは、神が支配する世界、神の愛と恵みが全人類に満ち満ちることです。昔民族の滅亡が迫る中、預言者たちは、神に呼び召されて、神が王として支配する時がくるとの約束の言葉を聞き、人々に伝えました。主イエスは、その時はすでに満ち、今、あなた方のところに来ている、だから、この喜ばしい知らせ=福音を信じて、いつかではなく、今この瞬間から新しく生きなおしなさい、この迫りきている新しい根本状況をそのままに受け入れて、どんなに状況が暗くても、何が襲ってきても、向こうから射してくる光をうけて、立ち上がり、輝いて生きていこう、とリアルに語られました。安息日には、会堂で聖書を解き明かしつつ語り、会堂の外、日常生活の現場、家や道端でも語られました。それだけでなく、重い皮膚病や視覚障害、聴覚障害、心の病などあらゆる病気や患いを癒されました。その評判は、大変広がったということです。しかし、それは自分の力を誇るためではなく、癒しそのものが究極目的でさえなく、神の恵みの支配が、人びとの思いをも包み超えて、迫っていることの明白な証しとしてなされたのです。確かに人々は貧しく飢え、病んで、暗く悲惨でした。その「飼うもののない羊のように弱り果て、倒れているのを」、主イエスは、「深く憐れまれた」、つまり、その痛み苦しみを、ご自分のはらわたがちぎれる痛み苦しみとなさったというのです。主イエスは弟子たちに云われました。「収穫は多いが、働き人が少ない」と。この人たちはかわいそうだ、救ってあげよう、ではなく、収穫が多い、と言われたのです。なぜでしょうか。今この時こそ、罪の世界が取り除かれて、神がその恵みの支配を来たらさんとする時なのだ、神から言えば、収穫の時、実りの時だ、というのです。それは、神の愛が、そのはらわたの痛みとなるほどに、強く注がれ行為になるということ、また、その愛に背を向けている人々の罪を根こそぎ刈りとる裁きがなされるということです。今がその時なのです。ただ、そのことを知って働くものが少ない、だから働き人が与えられるように祈ろうと言われたのです。私たちもまた、今この悪しき混乱の時代に、その喜ばしき収穫の働き人にならせていただけますように、と祈ります。

2017年09月06日