説教 4月8日 「あなた方を遣わす」

聖書 ヨハネによる福音書 20章19~23節

主イエスは死人の中から甦られました。神が甦らせてくださったのです。しかし神に背を向けて自分を中心にしてしか考えることがないわたしたち罪びと、肉の人には、自分と目の目の前に広がる世界がすべてですから、無からを有を呼び起こし、死人をよみがえらせる神の御業が、信じられないのです。イエスを慕って主の葬られた墓を訪れた女弟子たちでさえも、その慕い方においてそのような肉の人でありましたので、天使によって告げられた主の復活のメッセージ、あなた方の主はここにはいないとの知らせの前に、恐れのおののき逃げるばかりでした。では主の復活はどうして弟子たちの間に知られたのか。それは彼らが信じたからではなくて、復活の主ご自身が、信じない彼らの心の扉をこじ開けて、彼らの真ん中に立たれ、生ける主ご自身を現わされたからです。今日の箇所においても、弟子たちはすでにマグダラのマリヤから主の復活を知らされていましたが、信じないまま、ただただ、主イエスをくるしめ、裁判にかけて死刑として十字架につけたユダヤ人たちを怖れて、自分達がいる家の鍵を固くかけて暗い壁の中に閉じこもって固まっていました。彼らにとって、渡る世間は鬼ばかり、人間も世界も怖ろしい、自分自身さえ怖しい、神も怖ろしい、主イエスが復活しているとしたら、その主イエスも怖ろしかったに違いありません。彼らは主を捨てたという負い目を負っていたからです。主イエスは、そのような閉じこもる家の壁も、心の壁をも、難なく破って、彼らの真ん中に立たれ、そし「安かれ」、「あなた方に平和がある」「大丈夫」と言われるのです。そして、主は、ご自分の手と脇を見せられました。手には、主が十字架に手に釘を刺されてつけられた傷があり、脇には槍で刺された傷がありました。それは、世の人々(ユダヤ人と異邦人)がイエスを十字架につけて殺した傷のあとであり、また主がそれらの人々の罪を引き受けられた傷のあとであります。しかし、主によって引き受けられたがゆえに、蔽われ、克服され、過去のものとなった傷跡です。弟子たちが、主を捨てたことも、世界の諸国民の神に逆らって犯してきた罪も、そして、これから世界の諸国民が犯す罪も、主の十字架の死によって、全部根こそぎ、神からの満ち満ちる愛に打ち勝たれて取り去られてしまいました。主はそのような方として、今、復活され、弟子たちの真ん中に立ち給い、「安かれ、あなた方にゆるぎない平和がある」と告げられるのです。弟子たちはほっとして喜びました。私たちも、世のすべての人と共に、そこでほっとして喜んでいい場所が告げられています。告げられた私たちはは告げられたままでいいのでしょうか。主はその私たちにご自身の息(聖霊)を吹きかけ、わたしたちをまだこのことを知らない世に告げるべく、遣わす、と言われるのです。

2018年04月14日