説教 2月11日 「木はその実でわかる」

聖書 マタイによる福音書12章33~37節

「木はその実でわかる。蝮の子らよ、あなた方は悪い者であるのに、どうしてよいことを語ることができきようか。」主イエスは、神の国が自分にもう来ているのに、そしてそのことを主イエスによって知らされているのに、かたくなに自分を守ろうとして主イエスを攻撃するパリサイ人にこれを云われました。
ここでよい木とかよい人と言われているのは、自分に今迫ってきている神の愛、自分にも、周りのすべての人を生かし輝かし尊い者とする神の支配=神の国を受け入れることにほかなりません。悪い木と主が言われるのは、神の支配を受け入れず、自分の欲望のままに神に対しても隣人に対しても、したがって自分に対しても、心を閉ざしていることです。そして、その実とは、その結果、自分の欲望を実現するためになる人なら利用するけれど、そうでない人だと無関心、自分に立ちはだかる人だと憎み敵意を持ち、殺そうとさえするということです。パリサイ人たちも、主イエスが、目が見えず口がきけない人から、悪霊を追い出し、見え、口が利けるようにされたことが、彼らの律法による民衆支配に立ちはだかる邪魔となったので、主イエスを殺そうとし、あれは悪霊の頭の力によるのだ、と毒づいたのは、神の国を受け入れない悪い木が悪い実をならせてしまった結果だったのです。
しかし「悪い木から悪い実が出てくる」ということは、パリサイ人だけの問題でしょうか。世のすべての人は、神の国を受け入れえないでいる罪びとです。神の国を受け入れたはずの私たちクリスチャンも、肉の人としては、その様な罪に流されてしまっていることがいかに多いことでしょうか。それゆえに、私たちは、自分の心の中に人を憎んだり、敵意を抱いたり、嫉妬したりといった、悪い心が芽生えて来て、苦しむことがあります。そのことに気づかされたことはよいことです。創世記四章で、カインが弟のアベルへの嫉妬と憎しみで心が乱れたとき、神はカインに、罪が門口に待ち伏せている、あなたはこれを治めねばなならないと警告しますが、彼は耳をふさぎ、アベルを殺してしまい、地獄をさまよう身になります。私たちは、自分の中に、憎しみや冷酷‣敵意の悪い心に気が付いたなら、神がわたしに警告して、わたしの弱さに気づかせ、ご自分の御手の中へと立ち帰らせ、その悪の実を結ばないよい心を与えんとして、ご自身に招いておられると知るべきです。

2018年03月06日