説教 2月4日 「聖霊に逆らう者はゆるされない」

聖書 マタイによる福音書12章30~32節

主イエスは言われました。「人はその犯すすべての罪も神を汚す言葉も許される。人の子に対していい逆らう者は許されるであろう。しかし、聖霊を汚す言葉は許されない」と。このなぞかけのような言葉に対して、人々は「聖霊を汚す言葉とはどんな言葉だろう。それはどんなに悪逆非道な罪だろうと思いを巡らしてきました。しかし、私たちはこの主の言葉は、主ご自身の癒しの業に対して、「あれは悪霊の頭によって悪霊を追い出しているのだ」と悪意に満ちた言葉を言い広めるパリサイ人に対して、主が、そういうあなた方にもすでに神の霊は働いており、神の国はあなたがたのところに来たのだ、と言われたことに関連するものと理解したいと思います。聖霊とは、わたしたちの内面にまで達する神の国、神の恵みのよき御業です。すなわち、彼らは、主イエスによる悪霊を追い出す神の国のよき御業を、悪霊の業とののしることによって、自分自身に来ているその御業に、すなわち彼らのその罪をも赦し、そこから救い出すものでもある御業に逆らい、阻止しようとするのです。そして、結局は、自分を窮地に追い込むのです。だからその罪はこの世でも来る世でも不可にして不可能、許されることはありえないと主は言われるのです。それは、厳しい裁きの言葉であり、神のユーモアでもあり、そうであるがゆえに、彼らをも愛さずにやまない神の恵みの言葉であるのです。しかし聖霊を汚す彼らの言葉のままに彼らは突っ走り、主イエスを不正な裁判にかけた末、ローマ帝国の十字架刑に引き渡して、さらに「十字架から下りてみよ」と罵り続けるということまでしてしまいますが、それは、神が、ついに聖霊に逆らう罪を許すことなく、突っ走るままに放任され、罪が神の裁きを受けて陥っていくままにされた地獄であります。こうして神は、わたしたち人類の罪の醜い姿を、あらわにしめし、同時に、その罪とそれが陥った地獄を御子によって、ご自身が引き受け、根っこから取り去り、人類すべての罪を赦し、子として迎えてくださったのです。すべての罪は赦されているけれど、その赦しの恵みを自分から拒みののしることは永遠に許されていません。それは、神の決然たる私たちへの愛であり、恵みなのです。

2018年03月06日