説教 12月24日(クリスマス礼拝) 「平和の主の誕生」 

聖書 ルカによる福音書2章1~15節

イエス・キリストは、今から二千年余り前のローマ帝国の支配するユダヤのベツレヘムに生まれられました。帝国の領域は、東はアラビアに、南は北アフリカ全域、北はイングランドに至るという広大な地域の人々を力で抑え込んで治め、時の皇帝は至高の者=アウグストと呼ばれ、当時、その命令により帝国の全住民を掌握する戸籍簿を造るための人口調査が実施されつつありました。しかし、全地全宇宙を、真に支配しておられるのは創造主なる神以外ではありえません。その神は、人類一人ひとりを存在させ、ご計画に従って導いておられる方です。その神の御支配に、逆らい立ち続けることは誰もできません。あのローマ帝国の支配の絶頂の時、その重苦しい支配が諸民族の上にのしかかっていたその時とは、実は神が、すでにその七〇〇年前に、ユダヤの人々に預言者を通して約束していた神の御子・救い主が全人類の真実の王として地上に送られる時がいよいよ満ちていたその時であったのです。その御子、救い主、王のことを、預言者は、「驚くべき人生の導き手、大能の神、平和の君」と呼んで、神は必ずそのような者を送り、人類から戦争と暴虐と人々を縛るくびきを取り除き、人人を自由にし、地上に平和をもたらす、万軍の主の熱心がかならずこれを実現すると語っていました。その方が、今や、ダビデの血筋を引くヨセフという人と婚約していたマリヤというガリラヤのナザレ在住の貧しい処女の胎に宿り、生まれたのでした。それは、アウグストの人口調査令の故にヨセフがマリヤを連れて、生まれ故郷のダビデの里、ベツレヘムの役所に登録を済ませに行ったその旅先でのこと、マリヤは月満ちて幼子を生んだのでした。マリヤには、産むための場所さえ与えられず、幼子は、飼い葉おけ(家畜のえさ箱)に寝かされました。これは神の御心によるものでした。神はあえて、ご自身の御子・全人類の王を、人類の罪=神に背を向けた自己追求のゆえに、生み出された貧困や苦しみの闇のただなかに、送られたのでした。それは、神の恵みがそこにこそ満ち満ちるためでありました。そしてその救い主の誕生を、神は誰よりもまず、夜通し過酷な労働を強いられていた羊飼いの心の闇を照らしつつ、知らせたのでした。

2018年01月11日