説教 12月3日 「人の子なる主を迎え待つ」

ダニエル書7章23節~37節   マルコによる福音書13章21節~37節

今日よりクリスマスまで四週間、アドベントという時期に入ります。神の御子イエス・キリストがこの世に人の肉をとって来てくださったことを覚えるクリスマスを待つこの時期は、しかし、あのイエス・キリストが、再びきて、あの時はじめられた御業を成就される日を待ち望む教会の大いなるアドベントの比喩にすぎません。クリスマスがもうすぐだ、と待ち望むように、私たちは、あの2000年前に来られ、貧しい人々、見捨てられた人々、病人たちの友となられたあの方、世の人々が捨て去り、権力者たちが不正な裁判の末、十字架につけて殺したあの方、このことによって世の罪を赤裸々に明らかにされた、と同時に、その罪とその悲惨をご自分に引き受けられて、死んで、そしてその死の中から父なる神によってよみがえらされたあの方、そのようにして、私たちの罪を取り除き、終わりとし給い、わたしたちを神の子として、父なる神の愛の満ち満ちる中においてくださったあの方、そして、天に、つまり父なる神の御許に挙げられたあの方、そして、父なる神の全権をもって、世をすべおさめておられるあの方、その様な方として、わたしたちに聖霊を注ぎ、教会の主としてわたしたちの心の中に臨んでくださっている、その方が、やがて今度は目に見える力と栄光を現わして再び来てくださろうとしておられるのを、もうすぐその時が来る、もうすぐだ、と待ち望んでいるのです。今日読んだマルコによる福音書13章は、主イエスご自身が、「人の子」としての主の再臨について、その時どんなことが起こり、どんなふうに弟子たちは待つべきなのかということについて語っている箇所です。「その時、大いなる力と栄光をもって、人の子が雲に乗ってくるのを人々は見るであろう。その時、み使いたちを遣わして地の果てから天の果てまで、四方から選民を呼び集めるであろう」と。ここで「人の子」とはどういうことでしょうか。この言葉は旧約聖書ダニエル書7章に14節に、「日の老いたる者」(=神)から全権をゆだねられて全世界をおさめることになる人物です。神は「人の子」に、「主権と光栄と国=王権を賜い、諸民、諸族、諸国民を彼に仕えさせた」と。この「人の子」という概念は、それに先立つ支配者たちが、どう猛残酷な力をもって支配する龍や獣の姿で描かれているのに対して、言われていることであります。これら巨大な力をもって争いあう王たちのうえに、実は「日の老いたる者」=神が支配していて、日の老いたる者はその全権を、それら力をもって支配する者にではなく、「人の子」に委ねる、つまり、日の老いたる者に、ただの人として仕え、自分を低くして、謙虚に他の人々に仕える柔和な者に与える。そしてその者が永遠に支配する」というのです。そのような主が来られるのです。

2017年12月25日