説教 11月5日  「悔い改めない町々」

聖書 マタイによる福音書11章16節~24節

主イエスは、獄中に長く閉ざされて、神の国の到来への確信がゆらぐ洗礼者ヨハネを励ます言葉を、ヨハネの弟子たちに託して、語りました。「行ってあなた方が見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、、足なえは歩き、重い皮膚病を患った人は清まり、耳しいは聞こえ、死人は生き返り、貧しい人々は福音を聞かされている」と。これは、全ての人に、牢獄の壁に閉ざされた暗闇をも破って神の国=神の恵みの支配がすでに来ている、ということです。他方、民衆に対しては、この苦しみの只中にいるヨハネこそは近づいている神の国に人々を備えさせるために神から遣わされると約束されたエリヤなのだ、と証ししました。聞いていた貧しい民衆は、日々の苦しみの中で、主イエスのメッセージによって大きな励ましと希望を与えられたことでしょう。ヨハネは、捕らえられるまで、人々に、神の国の接近に応えて悔い改めよと語り、その徴として断食を行っていました。主イエスは、貧しい人々や差別され排除された人々と共に、神の国の到来を祝う喜ばしい食事を催しました。しかし、現状に漬かり切ってまどろんでいる多くの一般の人々は、二人の呼びかけをまともに受け取ろうとせず、彼らを、貶め笑いものにして、神の国の接近によって、目覚めさせられまいと身を閉ざすのです。ヨハネが断食をすると、見よ、あれは気が狂っている者だ、といい、主イエスが貧しい人々と共に食事をすると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、と嘲笑うと、主イエスは、彼らの有様を風刺しています。今の時代は、さながら、子どもたちが広場に座って、他の子どもたちに向って呼びかけ「私たちが笛をふいたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった」というのにたとえられる、と。子どもたちの遊びの歌になぞらえて、描写するユーモラスな表現ながら、主の深い嘆息が聞こえるようです。今韓国では、民衆が立ち上って、朴前大統領を罷免に導き、新しい文在寅(ムン・ジェイン)大統領を選出して、人権と平和・人間の尊厳を大切にする社会を形成しようとしています。それに対して、日本ではまともな報道さえなされておらず、貶めや茶化しや嘲笑や中傷ばかりが横行していることは、主イエスが嘆かれた状況を思いださせます。

2017年12月25日