説教 9月17日 「水一杯を飲ませてくれる者への報い

聖書 マタイによる福音書10章40~42節

主イエスは、ユダヤのガリラヤで、社会の最底辺に生きる貧しい人々、さまざまな病や患いの中にいる人々に、あなたがたに恵み深い神が王として権威をもって支配される、だから、その神の支配を信じて、新しく生きよ、と語りかけられ、その目に見える証しとして、病を癒し、重い皮膚病人を清め、死人をさえ甦らされました。主の周りにたくさんついてくる人々が集まりましたが、その中から十二人の弟子たちを選び、彼らにご自身が父なる神から頂いた力を与えて、彼らをご自分と同じ働きに派遣されました。その派遣の言葉を、 私たちはずっと一緒に聞いてきました。この言葉は、与えられている事情は違いますが、わたしたちも、毎週の聖日礼拝で、恵みの神が王として権威をもって支配される、というみ言葉を聞いて、それぞれの日常生活に派遣されるのであり、ここで語られる主のみ言葉は、その際わたしたちに主が語ってくださるみ言葉でもあります。私たちが派遣されるこの世は、この神の支配に、なおも背を向け続けている罪の世であります。神の支配を軽んじ、自分の権力や富を追い求め、それにより頼んで、世界を支配しているつもりでいたり、それに依存しきっている人々の世界であり、私たちもその中の一人であるような世界です。恵みの神は、御子イエスを派遣され、世の罪を御子に担わせ、御子を十字架につけて、罪を裁いて、この世の罪を根こそぎ終わりとされ、御子を復活させて、新しい命の中にすべての人を置いてくださったのですが、この世はそのことを知らないまま、罪を犯し続けています。だから、この世は、私たちが本当に神の国の証しをなす者になるなら、共感する人々も多く出ますが、それよりはるかに多くの人々がわたしたちを憎み迫害するでしょう。私たちは苦しめられ孤立させられたりもするでしょう。しかし、神の国の勝利は、すでにきまっており、苦難の只中で、神は大いなるみ腕をもってわたしたちの味方となって支えてくださいます。それだけでなくその様な中で、色々な形で人々の助けをえるでしょう。たとえ、この世の権力の手前、世の手前隠れてではあっても、そっと助けてくれる人もいます。戦いの苦しい時に、水一杯くれる、それだけやっとすることができたという人もいるでしょう。それも大変勇気のいる行為であります。公然と一緒に活動してくれる人たちだけでなく、その様なひそかに支援してれる人たちも、何とありがたいことでしょうか。主は言われます。「あなたがたが私の弟子だという名のゆえに、この小さい者の一人に、水一杯くれる、その人は、決してその報いからもれることはない。」

2017年10月14日