説教 9月10日 世に挑む天の国の証し人

聖書 マタイによる福音書10章34~39節

「地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、剣をなげこむために来たのである。」と主イエスはいわれました。この言葉はしばしば、戦争をしようとする国の指導者が、国民を戦争にかりたてるために、用いられました。主がこの言葉を、国が戦争をすることを正当化するために言われたのでないことは明白です。主イエスこそは、人類が神と和解し、お互いの争いの状態をなくして、全ての人が神と共に生き、互いに平和に生きるためにこられたかたです。このように真の平和をもたらす主イエスがそのようにいわれたのはなぜでしょう。主イエスは、ユダヤのガリラヤ地方の最底辺で生きる人々の間で、天の国は近づいた、すなわち、神の恵みの支配は、あなた方のところに来ている、と宣べ伝え、そのことの証しとして、病人たちを癒し、死人を甦らせ、悪霊を追い出す働きをされました。そして、その主イエスの働きに与りつつ、同じ働きをするように、弟子たちを派遣されました。実にこの神の国=神の恵みの支配こそ、真の平和です。「地上に平和をもたらすために私が来たと思うな。平和ではなく,剣をもたらすためだ」と言われたのは、この派遣の言葉の中でいわれたのです。 なぜなら、神の御支配は、神の恵みに逆らう人類から、その逆いを根こそぎ取り除き、終わらせるからです。すべての人が、神に背を向けて、ありもしない空虚な神なき自分を中心にして、その自分を高めよう、強くしよう、富まそう、そして、他の人をおしのけようと、夢中です。だから、人と人とに争いが絶えません。神は、そのような世の有様をおわりとするため主イエスを派遣され、世の罪を主にになわせ、主を十字架に死なせ、復活させ、天にあげ給うことによって取り除いてしまわれたのです。それにもかかわらず、罪の世はなお続いているのです。すでに裁かれ、終わらせられたのですが、続こうこうとするのです。福音を宣べ伝えるとは、なお続く罪の世に対して、神が挑戦しご自身の勝利を知らせ給う。そのために私たちを召し、用い給う、それに応えることです。それは神と共に自分自身と世とに向って挑むことにほかなりません。神に背を向けた罪のあくなき欲望に対する挑戦、非寛容や敵意や分断に対する赦しや連帯や和解の挑戦、差別や抑圧に対する人間回復の挑戦です。たとえ、「非国民」、「反日」と罵られようと、主の教会はその挑戦をやめるわけにはいきません。

2017年09月27日