説教 2月13日 「かなえられなかった?切実な祈り」

聖書:主の僕・パウロが主から受けた使命は、地の果てスペインまですべての異邦人に、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることでありました。またこうして各地にできた少数のユダヤ人を核とした多数の異邦人の集う諸教会が、ユダヤ人キリスト者が多数集うエルサレム教会との絆から離れずにつながり続けることでした。それ故パウロは、ローマに、さらにスペインにまで伝道の働きを広げる前に、どうしてもギリシャの異邦人の教会で集めた「聖徒たち」のための献金を届けるためにエルサレムに行かねばならなかったのです。しかしパウロはエルサレム訪問の折、神殿で急進ユダヤ主義の一団の襲撃を受け、ローマ軍の介入のお陰で死から免れ、その後ユダヤ当局との裁判でローマ皇帝に上訴すると表明したので、囚人としてローマに送られ、念願のローマ行きとローマの教会内外の人々とキリストの福音を分かち合う豊かな交わりが実現しました。しかしその後彼は当時のネロ皇帝に処刑されました。パウロはローマの信徒への手紙で、御心によって、自分がエルサレムで「不信の徒」から守られ、無事にローマに着くことができるように祈って下さいとローマの人々に頼んでいます。自分でも切に祈ったでしょう。しかしパウロに与えられた道は、全く思いもよらない波乱に満ちたものでした。パウロはまさに「不信の徒」に襲われ、最後は刑死をもって地上の生涯を絶たれました。しかし神がパウロに与えた道はこれであったのです。祈りは聞き届けられなかったのか。否、神はみ心によって彼の祈りに答え、最善をなさって下さったと信じていいのです。パウロが、ローマの信徒への手紙のあの箇所で、「御心によって」かくあるように、と言っていることは重い言葉です。私たちの祈りというものはそういうものではないでしょうか。私たちは、祈り願うとき、神がわたしたちのために何の留保もなく最善をなさって下さることを信じ、私たちの思いが実現することではなくて、神が御心のままにすべてをなさって下さることに自分を委ねるのです。そして神が与えて下さることが、たとえ私たちの思いからすれば、最悪のことであり、わたしたちが、そこにに臨んでいて下さる神に「なぜ?」と抗議することがあっても、神はわたしたちを憐れみつつ、わたしはあなたを見捨ててはいない、あなたをはなれはしない、とお答えになるでしょう。信じて受けいれるほかはありません。その時こそ、神がご自身の栄光をもって私たちを輝かせて下さっておられる瞬間なのです。

2022年04月03日