説教 1月23日 「万民が神の憐れみを知り讃えるように」

聖書:ローマの信徒への手紙 15章7節~13節

 

パウロの時代の教会は毎日夕刻に集まりアガペ(愛)と呼ばれる食卓の交わりがありました。ある人々がそこに出される肉は店から買ってくるので、偶像に生贄として捧げられ汚れているかもしれないので、肉は出すなという人たちが起こり、神から頂いた食べ物に汚れなどないとして従来の愛と恵みを分かち合う食卓の交わりを守ろうとする人々と対立が起こり、両者の関係はこじれてしまいました。パウロは後者の人々と同じ考えでしたが、しかしあなた方の食べ物が、兄弟を躓かせるなら、兄弟への愛の故に愛餐に肉を出すのは断念しよう、「神の国はイコール食べることではない」といい、愛と忍耐、主にある神の家の交わり形成を説くのです。その文脈の中で、「キリストもご自分の満足を求められなかった」、むしろ、「あなたを誹る誹りが、わたしに降りかかった」と言われたように、キリストも、十字架の上で愛と忍耐をもってご自身を罵るユダヤ人たちの罪を引き受け、贖い取られた、このように「キリストは」ご自分を差し出し「割礼ある者(ユダヤ人)の僕になられた」と語るのです。しかしそれこそ、かつて神がアブラハムとその子孫となる者たち(世々のイスラエル=ユダヤ人)に、あなたがたは地上のすべての民族の祝福の基となると言われた、その約束の成就であったと語るのです。この祝福とは、地上のすべての民が、罪を取り除かれ神を知り、神の子とされ、共に父なる神を仰ぎ、主イエス・キリストを中心に互いに兄弟となり、共に支えあい愛し合って、神の栄光の輝きを受けて生き始めるということです。だからこそ、詩篇の詩人は、神を礼拝しつつ「地上のすべての民よ、主の民と共に喜べ」と叫んだのだ、とパウロはいうのです。そして最後にパウロは、この約束の究極の成就として、神が預言者イザヤを通してユダ王国の民に語った(神の怒りの裁きとして王国の滅亡が迫っていた時に)イザヤ書11章のメシア預言の言葉を要約して語ります。「エッサイ(ダビデ王の父の名前)の根から芽が現れ、異邦人(世界のすべての民)を治めるために立ち上がる。異邦人(世界のすべての民)は、彼に望みをかける」と。つまり神はユダ王国もアッシリヤ帝国も滅ぼしてしまった後、神の霊によって治める真の王によって、神ご自身の恵みの国を来たらせるというのです。

2022年04月03日