説教 11月10日 「義人の碑を建てる欺瞞」

聖書 マタイによる福音書23章 25〜28節

「あなたがたは、預言者の墓を建て、義人の碑を飾って、私たちなら、預言者の血を流すことに、加わらなかったであろう、と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを自分で証明している。」預言者は旧約聖書の各所に登場し、旧約聖書の三分の一は文字通り預言者の言葉集です。預言者とは、正にその時、その瞬間、その状況にむかって、神が神の民イスラエルになさんとされる業、伝えんされる言葉を、神から「語れ」と命じられて語る人です。預言者は悪しき王や貴族に対して神に遣わされて裁きをつげました。そして、そしてその言葉は、のちに事実となりました。しかしぞの言葉は、同時代の人々、特に有力な人々にとっては耳を塞ぎたくなるようなもので、預言者たちは迫害され孤立し苦しみました。北王国イスラエルの王は富み栄えたフェニキヤ人の都市国家シドンから妃を迎えた王アハブは妃のもたらした偶像バアル(富と力の神)のとりこになり、王宮の隣の園の持ち主のナボテから土地を奪うためにナボテを冤罪に陥れ殺しました。それに対して、預言者エリヤは神の報復の言葉を告げました。王などを喜ばせる預言者もいましたが、そのような「預言」は時がたつと、メッキが剥げてしまいました。他方預言者たちは、逆に国が滅び同時代の人々が絶望のどん底にいる時、しばしば、誰にも信じられないような、神から託された救いの希望の言葉を人々に伝えました。イザヤ書の40章〜55章には、イザヤの弟子とみられる預言者の言葉が収録されていますが、そこには、バビロニアの首都バビロンに捕われの身となって打ち拉がれた人々に、見よ、主なる神は大能をもって来られ、その腕は世界を治める、見よ、諸々の国民は主の前には無きに等しい」と主の民を励ます言葉がちりばめられています。その人は、イザヤ書53章の「苦難の僕」その人で、バビロニア当局によって処刑されたという説もあります。しかしその預言は、ほどなくして、新しく起ったペルシャの王によって実現しました。主イエスは今、民衆を支配抑圧する権力の一翼でさえある律法学者パリサイ人たちが、自らをそのような預言者になぞらえ、その墓を建て、碑を飾り立てて、自分達なら、預言者の血を流すことに加わらなかったであろうと言っていたことに欺瞞を見、それ自体彼らが預言者たちを殺した者の子孫であることを証明している、と言われました。彼らが誠実なら、今の自分もそうであったであろうと己を恥じ、悔い改めるべきはずだったでしょう。それに続けて福音書は主イエスはこういわれたと言います。だからわたしはあなたがたのところに、さらに預言者や知者や律法学者たちを派遣するが、あなたがたは彼らを苦しめ町から町へ追い回し、殺しもするだろうと。このことは現に起こったことであり、この福音書を生み出したマタイの教会の人々が、知者、預言者としてユダヤ人同胞にもとに主に遣わされ、このような熾烈な迫害を受けたのだと思われます。マタイによる福音書は、ユダヤ人キリスト者の教会のこのような殉教の戦いの中から生み出された福音書なのでしょう。

2020年05月06日