説教 9月29日 「イエス・キリス・われらの主」

聖書 マタイによる福音書22章1〜46節

主イエスは、律法学者の神への反逆を厳しく責められましたが、やがて主の言葉は彼らを捕らえ、彼らは色々主に質問してきました。主の答えが的確なので彼らは沈黙してしまいました。そこで今度は主イエスがパリサイ人に質問します。「あなたがたはキリストをどう思うここ で主イエスは、キリストなる私をどう思うかと尋ねたのではありません。ここで「キリスト」というのは、神がユダヤの人々送ると約束していたユダヤ人の王にして世界の王のことです。その王のもとで、世界のすべての民が神を仰ぐ者となり、、一つにされるとされていました。そしてその王は、昔ユダヤの黄金時代を築いたダビデ王の家から出る、そしてそれは、昔のダビデ王国の支配と栄光の回復と全世界への拡大とユダヤ民族主義的の線で考えられていました。今日のイスラエル国家は、ユダヤ教正統主義・シオニズムの理解では、ダビデ王国の栄光の回復と考えられているようです。しかしそれは聖書が告げている神の約束の実現である諸民族の平和ではなく、実態は陰惨な戦争まみれの世俗国家となっているのは見てのとおりです。主イエスは、詩篇一一〇篇を引用しながら、そのようなキリスト理解に反対する問題提起をしておられるのです。主は言われました。「ダビデ自身が、「主はわが主に仰せになった。『あなたの敵をあなたの足元に置く時までは、私の右に座していなさい』と。このようにダビデ自身がキリストを『わが主』と呼んでいるからには、キリストはどうしてダビデの子であり得ようか?」つっまり、主イエスは、この詩篇を、ダビデ自身が、主なる神を仰ぎ、来たるべきキリストをわが主と仰ぎ、主なる神よ、あなたは、わが主を世界の王としてお建てになり、キリスト逆らう悪しき世界をキリストの足元において勝利させて下さる」と神を賛美して言ったのです。つまりキリストは、ダビデの血筋から出るのではない、むしろダビデの主であるということです。故に神の国は、ダビデ王家の再建やユダヤ民族の支配の実現ではありません。、キリスト教の支配でも勿論ありません。神がユダヤに送って下さった真実の王キリストのもとに、すべての世界の民、すべての人に神の恵み、祝福が満ち満ち、神に逆らって自分が神であるかのように人々を支配する人々の支配が打ち破られるということです。そして今、パリサイ人に対してこのように異議申し立てをしている主イエスこそ、そのキリストにほかならなかったのです。主イエスは、神のところから来られた御子にしてキリスト、王であります。まさに主イエスは、それ以前に登場した、それ以後のあらゆる国あらゆる人、つまり人類全体の神に逆らう罪を取り去り、すべての人が神の子として祝福されるために来られ、戦い、十字架の上で死なれ、復活・昇天されました。再び来て、御業を完成されるのです。

2019年10月24日