説教 7月21日 「農夫たちの反逆に苦しんだブドウ園の主人」

聖書 マタイによる福音書21章33〜46節

主イエスは、神殿に入りイスラエルの権力を持つ当局の人々に対して教えられました。地上の誰の権威にもよることなく、ただ父なる神のみに導かれて語られました。今日はその2番目の話です。「ブドウ園の主人がが、ブドウの木に実を実らせるため、葡萄酒を作るために、ブドウ園を作り、垣をめぐらし酒舟を掘るなど、心込めてあらゆるものを備えて、農夫たちにそれを委ねて、、旅に出た。収穫の時が来たので、主人は僕たちを送って、実りをえようとしたが、農夫たちは、僕たちを袋叩きにし、殺したりした。再びさらに多くの僕を送ったが、同じようにした。主人は苦しんだ末、息子なら敬ってくれると思い、とうとう息子を送ったが、農夫たちは、あれを殺してこの財産を手に入れよう、と言い、彼を捕まえてブドウ園の外に引き出して殺した。ブドウ園の主人が帰ってきたらどうするだろうか。」と主は、聴いていた当局の人々は言いました。「悪人どもを皆殺しにして、季節ごとに収穫を納める他の農夫たちに貸し与えるでしょう。」主イエスは、何の話をしておられたのか。ブドウ園とは何か。わたしはこれは、神が神の支配=神の国を世界の諸国民に現わそうとして選び召された群れとしてのイスラエルのことを言っていると思います。そこで働く農夫たちとは誰のことかというと、そのように選び召されていることに応えるように命じられ、その選び召しの目的にかなって神の国を現わして生きているかどうかが問われているイスラエルの人々、とりわけそのリーダーたちのことだと考えます。私たち人類諸国民は、皆一人一人神に愛されて造られて存在する者です。それなのに人類は神に背を向け、自分中心に生きる者となり、互いに食い合い奪い合う悲惨でいっぱいの世界になりました。その様な中で、神は、今から四千年以上も前アブラハムとその子孫=イスラエルという小さい群れを選び召されました。それは世界の創造主なる神のすべての人に対する恵みと愛を、この群れを通して示すためでした。神はこの小さき群れの数を増やし、彼らが寄留していた土地を定住地として与え、彼らの数限りない愚かさや反抗とそれがもたらしたあらゆる危機を貫いて存続させ、守り導きました。これが神が造られ供えられたブドウ園です。そのブドウ園を委ねられたのが、イスラエルの民です。ところがその民は、神の誠実と愛と忍耐に、不誠実とその息子の殺戮をもって答えた、というのです。その息子とは,今語っておられる主イエス自身です。しかし父は息子である主イエスを殺したブドウ園の農夫たちあなた方農夫に復讐して皆殺しにするのではない。殺された息子を、甦らせ、隅のかしら石に据えブドウ園で働く誠実な農夫たちを諸国民から選び召し、園を再建すると言われたのです。この再建されたブドウ園とは私たち主の教会のことに外なりません。

2019年10月24日