説教 6月11日 「罪びとを招くために」

聖書 マタイによる福音書9章9~13節

主イエスは ガリラヤの町々村々で、神の国がすべての人に臨んでいることを宣べ伝えて、また人々の病を癒して、道を行き来していました。ある日その道に設けられた収税所で通行税を取る仕事をしていた取税人を、わたしについてきなさいと、招かれ、その人は立ち上がってイエスについていき、弟子になりました。この人はマタイという人でこの福音書を書いた人です。取税人とは税金を取る仕事を職業としている人です。当時のローマ帝国に支配された時代、取税人は、ユダヤの社会で、最も汚れた者たちとして、卑しめられていました。なぜなら、取税人は、支配国家ローマ帝国や、ローマの傀儡となって王を自称し支配していたヘロデ家に、上納金と引き換えに委託されて民衆から税を取り立てていた民間収税事業者とその雇われ人であったからです。事業者は、決まった税額より多く取り立てることが許されていて、その超過分が、利益になるのでした。だからしばしば、彼ら自身貧しい民衆から、手荒な手段さえ用いながら、収税していたので、民衆から忌み嫌われていたのです。確かに収税事業者は、金持ちにはなっていましたが、下っ端で税を取り立てて働かされる人は、社会から日陰者扱いされながら貧しかったのです。マタイもそのような男の一人でありました。マタイによる福音書は、ルカによる福音書と同様に、マルコによる福音書を下敷きにして書かれたということが、現代聖書学の定説になっています。しかるに、マタイが下敷きにしたマルコでは、この取税人に当たる人物の名前はレビであってマタイではありません。ルカも同様にレビとなっています。だから、この取税人の名前はレビであると流布されていたのでしょう。ではなぜマタイでは、その名がマタイとなっているのかというと、私はこうかんがえます。それまでその取税人の名前は、レビという偽名で流布されていたものを、マタイは、その取税人は、実はわたしマタイであったと、カムアウトしたのではないかと。そうすると、マタイが「イエスは収税所にマタイという人が座っているのを見た」というその「人」にあたる原語に、「アントロポス=人間」という言葉を使った取税人マタイの思いが伝わってきます。すなわち、ここで彼は、「イエスは、〈人でなし〉と貶められ暗闇にいた私を呼んで神の輝きの中において、顔をあげさせてくださった。私を『人間』、『兄弟』として、呼んでくださった」と言うのです。主イエスは、全ての人を、「わが友」、「わが兄弟」と呼んで、同じ神の輝きの中においてくださいます。わたしたちは、その呼びかけのそとにでることはありえません。だれもそこから自分やだれか他の人を除外することはできません。

2017年09月12日