説教 6月16日 三位一体主日 「死によって死に勝った主」

聖書 使徒行伝2章22〜26節

主イエスに呼ばれ、ついてきた弟子たちは、主の受難と死に、失望・していましたが、復活の主はご自身を繰り返し現わしてご自分が生きていることを彼らに示されました。弟子たちは、主の復活の中に、新しい神の恵みの地上世界の到来を夢見ました。しかし復活の主は言われました。その日がいつ来るかは、だれもいえない。しかし、あなた方に聖霊が下ると、あなた方は力を与えられ、わたしの証人となる、と。つまり地上世界は変わることがなくても、あなたがたの心に神ご自身が臨んで下さり、あなたがたを、復活の主のもの、神の国のものとする、そしてあなたがたは、主のエルサレムから、ユダヤ、サマリヤそして世界の果てに至るまで、主の証人となる、と。そして、事実それから10日後弟子たちは、聖霊を受け、、ちょうどその時祭りのために世界中から集まっていたエルサレムに集まっていた人々の前で、聖霊(心に臨んできた神ご自身)が語らせるままに、口々に神の言葉を語りました。その言葉は、当時蔑まれていた彼らの故郷ガリラヤの方言であったと思われます。しかし聴く人に、、彼ら自身と世界のすべての人になされた「神の大きな業」について語る言葉として、言葉も文化も違う人々の心にそれぞれの母国語で語られたかのように響き彼らを一つにしたので、、一同は驚愕きました。しかし、彼らは酔っているだけだという人もいたので、ペテロが立ち上がり、明確な言葉で語ったというのが、今日の箇所です。ペテロは、まず、このことは、神が預言者ヨエルを通して「終わりの日には、すべての人わが霊を注ごう」と語ったことの実現にほかならない。神に逆らう罪の世界の終わりとする時に臨み、神はこのように下積みの人々、老人、若者、僕=労働者たちに聖霊を注ぎ、力を与え、神の恵みの満ち満ちる神の国の到来を語らせておられるのだ、と語りました。そして、あの十字架につけられたナザレのイエスのものだ、身を明かして語りだします。「ナザレにイエスは、神が彼を通して、あなたがたの中で行われた数々の力ある業と奇蹟としるしで神から遣わされた方であることを示された方であった。」このイエスは、逮捕されてあなた方の手に落ちたが、「それは、神の計画と予知によるもの」、つまり神ご自身が御子イエスをあなた方の手に渡したのだ、と。それは、あなたがたの罪の醜悪なありさまが明るみに出され、神の怒りの裁きを受けるためであった、と。事実あなたがたは彼を不法の人々の手で彼を虐殺した、そして神は、イエスを死人の中から甦らせ、あなたがたの罪に打ち勝ち、死に打ち勝たれたのだ。ペテロが語るように、主イエスは、死によって死に打ち勝たれた、みずから人類の罪をご自身に引き受けることによって罪に打ち勝たれた、ということができます。罪のあなたがたは、十字架と共に死んだ。死もまた死んだ。わたしたたちは、もはや神が下さる義の満ち満ちる、復活の命に生きるほかはない、とペテロは語ったということができます。

2019年10月23日