2024年5月26日 「人間イエスにおいて神を仰げ」 聖書 ヨハネによる福音書14章8殻7節
今日は三位一体主日、神様が父と子と聖霊という三つの在り方で私たちにかかわって来ておられることを覚える日です。神は私たち地上の世界の上に茫漠と漂う顔のない方ではなく、御子なるイエス・キリストとして人となり地上に身を置き、肉を取って貧しく小さい人々に仕えて十字架に死んで甦られた方です。「神」という時に、このイエスにおいて神を見ず、神を御自身を低くされ呪いの木の上に死んだ主イエスにおいて見ないなら、その人は聖書の神のことではなく、思い描いた別の何かのことをいっているのです。
主イエスが、ユダヤの権力当局に捉えられる夜、弟子たちに「あなた方は私の行くところに来ることはできない」と言われるので、弟子たちは不安になります。しかし主イエスは「私は父(なる神)の御許に行って、そこに父とわたしとあなた方が(永遠に)共に交わる住いを用意するために行くのだ」と言われ、「用意ができたらあなた方を迎えに帰ってくる」といわれます。しかし弟子たちには何のことだかわかりません。
そこでフィリポが言いました。「父を示して下さい、そうすれは満足します。」すると主は言われました。「こんなに長い間一緒にいるのに、私が分っていないのか。私が父におり、父が私のうちにおられることを信じないのか?」フィリポは、主イエスが彼らを脅かす地上の権力(ユダヤ当局やローマ帝国の権力)を打ち負かす神の力を示してほしかったのです。しかしそういう力は、真の神の力ではありません。神の力とは主イエスにおいて示されたような愛の力、己の強さを誇るのでなく、弱さの中にあえぐ人に寄り添いそのものを支え強める力、闇の覆うところを明るくする力、死んだ者を生かす力であります。主イエスはそのような力を弟子たちに示されました。「私が病んでいる者を癒した時、絶望しているものを立ちあがらせ、敵対する者に寄り添って救いを告げたとき、あなたは私のうちに父がおられるのを見なかったのか?」と主は言われたのです。そしてその父・子の力はあなた方が私の名によって祈る時、聖霊として来てあなた方のものともなるのだ、と。