説教8月13日 遣わされた天の国の証し人

2017年8月13日   「遣わされた天の国の証し人」         聖書:マタイによる福音書10章5節~15節、


主イエスは、父なる神に遣わされて、ユダヤのガリラヤ地方の社会の最底辺で、病や重荷を負う貧しい人々のところに行かれました。そして、天の国は近づいている。神の恵みに満ち満ちる支配が、あなた方のところにもう来ている。そのよい知らせを信じて、受け入れ立ち上がって生きていこうとよびかけられました。また主イエスは人々の病や患いを癒して、神の恵みの支配を、目に見える徴として、あらわされました。その周りには、たくさんの貧しい人々の群れが集まり、主イエスによって、神の愛に出会い、生きる力を与えられ、互いに、支えあう力を与えられました。主イエスはまた、このような働きを、ご自分一人でされるのではなく、ついてきている人々の間から、一二の弟子たちを特に近くに召して、ご自分の働きにこの人たちを用いられました。今日の箇所は、その際、主イエスが、弟子たちに語られたことが記されています。私たちもまた、日曜日ごとに礼拝し、み言葉を聞いて、神から世に遣わされるのです。私たちが遣わされる世とは、私たち自身が、一週間の間過ごす日常のことです。ここで主が語られたことは、時代も状況も現代の私たちとは違いますが、重要な点で、そのまま、私たちの日常に向かわせる際、私たちに主が語られているみ言葉であります。その最初の言葉は、「異邦人の道を行くな、サマリアの町にはいるな。イスラエルの失われた羊のところに行ってこう言いなさい」ということでした。異邦人とは、神を知らないでいる人類世界の人々のことです。人類皆、神に背を向けて自分が世界の中心だと錯覚し、自分のもつ富と力の大きいことを求めそれにより頼みつつ、実は自分を苦しめ、他を苦しめあっています。君たちはそのような道に歩んではならない、そうではなく、イスラエルの失われた羊のところに行きなさいというのです。神は、イスラエルという世界の片隅の悩める小さい群れを選び召して、ご自身をその人々の神として示され、彼らに語りかけられ、彼らと共に歩まれました。聖書の各巻の言葉はその証言記録です。しかもイスラエルの失われた羊ところに、といわれました。人類の自己中心の闇が露わになって、闇を抱えて苦しみ悩む小さき人々のところに、と。神は主エスをその人々のところに遣わされました。私たちも、その小さき人々の一人です。そして、そのような苦しみ悩む小さき仲間のところに遣わされるのです。

2017年08月28日